アラフォーのヘッポコピーライターが自らの失敗談で綴る、自戒と猛省の広告コラム


ヒーローが死んだ日

アラフォーのヘッポコピーライターが自らの失敗談で綴る、自戒と猛省の広告コラム。


第29回 <ヒーローが死んだ日>

ソ連

「ソ連ってなんですか?」

新入社員(♂)のひと言に会議室が凍った。「知らないの!?」目を見開いて大げさに驚く者、「円周率って3だった?」ゆとり教育を笑う者、よせばいいのに「お父さんいくつ?」と尋ねて年の近さに落ち込む者、「理系?」と進路選択に救いを求める者など反応は様々。一方、僕は衝撃でしばらく動けなかった。「サカナクションって知ってます?」と聞かれたときもショックだったけど、今回はそれを遥かに超えていた。ああ、ずいぶん年をとっちゃったんだなあ…と、今まででいちばん思い知らされたひと言だった。

個人の世界観にソ連が及ぼす影響は小さくない。1980年代をまるまる学生として過ごした僕みたいな者なら尚更だ。「トップガン」「ランボー」「007」。アクション映画でソ連はいつも悪者だった。核で世界征服を企む悪の帝国。命令のままに誘拐や暗殺を実行する冷酷なマシーン。コミュニスト、クレムリン、KGB、なんとかチョフ、かんとかシュキ。その響きはどれもエキゾチックで陰謀の香りに満ちていた。あの頃、世界にはまだ本物の頭脳戦があり、自爆テロなんてほとんどなかった。

物語は“敵”が面白くする。僕はそのことをソ連から学んだ。地球サイズのデカい志とは裏腹な能面のようなクールネス。キレたら恐ろしい凶暴性。冷酷ではあるが、残酷ではない。緻密な頭脳、実行に移す行動力、絶対にあきらめない粘り強さ、欲望のままに生きる勇気、何より目的のためなら手段を選ばないダーティさを兼ね備えたタフガイの中のタフガイ。入社面接だったら即内定の逸材だ。それは単なる敵を超えた「好敵手」と呼ぶべき存在。力の使い方を間違えてしまったもうひとりの主人公。映画の中のソ連に、僕は「キレイゴト」にアンチを貫き通すカッコ良さを教えてもらった。


先日「エクスペンダブルズ3」を観た。スタローンをはじめ、懐かしのアクションスターが勢ぞろいする豪華アクション大作。シワだらけの顔とは対照的な鍛え上げられてパンパンに張った腕や胸。これでもかと爆発するミサイルや爆弾。一発も撃たれずに敵をマシンガンで敵を一方的になぎ倒す様は絵空事を通り越してもはや絵本。本来ならそれは悩みをスッカラカンにしてくれる荒唐無稽な2時間のはず。でも観終わって僕は悲しくなった。スーパーヒーローは死んだ。ヒーローを演じた者たちがかつての自分のパロディを嬉々として演じている事実が、そのことを雄弁に物語っていた。以前と何も変わらないように振る舞うドーピングされた無邪気さが、世界の現実から無理矢理目を逸らしているみたいで痛々しかったのだ。

冷戦が終結し、世界は単純さを失った。その傾向は9.11以降ますます顕著になった。それはハリウッドが「ちょうどいい敵」を失ったことでもある。ゲームは自分と互角か、強い相手とするから面白い。中国はいまや世界最大のビジネスパートナーだし、ロケットも満足に飛ばせない北朝鮮じゃ最初から相手にならない。イスラム諸国やメキシコの麻薬地帯で起きていることは世界中のホラー映画が束になっても敵わないほど恐ろしい。そこで破裂しているのはCGではない本物の爆弾。流されるのは特殊メイクではない本物の血。映画はとっくの昔に現実に負けてしまった。正義が勝てるのはいまや映画の中くらいだ。最近のハリウッド映画がエイリアンやミュータントやロボットばかりやっつけてるのは、そのことと決して無関係ではないと思う。

話は戻るが、例の新入社員(♂)は1992年生まれ。ソ連が崩壊したのは1991年だから、生まれたときにはすでにロシアだったことになる。でもソ連以外だけでなく、日本の首相も、オーストラリアとカナダの場所も、忠臣蔵も、水戸光圀も、高度経済成長も知らなかった。「日独伊三国同盟って…確か日本とドイツとフランスでしたよね?」そう答えたところで、恐ろしくなった僕たちはそれ以上質問するのを止めた。

※ 本コラムの内容は全て個人的な発言であり、所属する組織や団体とは一切関係ありません。むしろ早く関係して発言できる身分になりたいものです。


佐藤理人(さとうみちひと)
電通 第4CRP局 コピーライター。
マーケティング、営業を経て、2006年より現職。
東京コピーライターズクラブ会員。
受賞歴:TCC新人賞、ACC銅賞など。